言わずと知れた、パーラメント「マザーシップコネクション」だが、サンプリングというより、ほとんどカバー(笑)
ラップというものを僕が初めて知ったのは、チャカ・カーンのプリンス・カバー「I Feel for You」(1984年)だったか、あるいは当時大ヒットしたRun-D.M.C.「Walk This Way」(1986年)とビースティ・ボーイズ「Fight For Your Right」(1986年)だったか。いずれにしても高校生の時である。
当時、じゃがたらの影響でファンク、ワールド・ミュージック、レゲエなどに目覚め、さらに新しもの大好きな僕はすぐにヒップホップに飛びついた。僕と同世代の音楽好きで80年代前半にパンク、ニューウェーヴから音楽に入り、その後、80年代後半にロック以外のそういった音楽に傾倒していった人は多かったんじゃないだろうか。
その後、大学生になり、ライブハウスなどに頻繁に出入りするようになり、近田春夫、いとうせいこう、藤原ヒロシ、高木完、ECDといった日本のヒップホップ黎明期を生で体験した。
その後も、パブリック・エナミーは大愛聴盤だったし、このドクター・ドレーの1st.(1992年)やスヌープ・ドッグの1st.(1993年)ぐらいまでは新しい時代の自由な音楽というイメージで、色々と聞いていた。
しかし、その後ギャングスタ・ラップの隆盛とともにヒップホップを聞かなくなってしまったのだ。
なぜそこから聞かなくなったのかという理由について、僕は1992年に大学を卒業して就職し忙しくなったため、ライブハウスなどに行かなくなり、音楽に疎くなったせいだとずっと思っていた。確かにそれも大きいのだが、「文化系のためのヒップホップ入門」という本のギャングスタ・ラップについて語っている章を読んでいて、ハッと思わされる発言があった。
それを要約すると、それまではその時代の面白いサウンドのひとつとして聴いていたヒップホップが、ギャングスタ・ラップ以降そういう聴き方はできなくなったということ。
当時日本で、ニューウェーヴを聴いていた文化系少年やサブカル少年は、ヤンキー的価値観を嫌悪していた。中学や高校だとヤンキーや運動部に比べて、文科系、サブカル系はおとなしいが、「自分はこんな奴らと違ってエッジーなカルチャーに接してるんだ!」というプライドで生きていたのだ。しかし、そういったエッジーなカルチャーとして興味を持ったはずのヒップホップの行きついた先が、地元主義や不良グループ抗争を題材にしているギャングスタ・ラップで、正に自分たちが嫌悪していたヤンキー的価値観だったとはたまらない。
と言ったような内容。僕がヒップホップを聞かなくなった理由については正にその通りだと思う(笑)
しかし、典型的なサブカル少年だった僕だが、一方では運動部に所属していて、いわゆるオタクは嫌悪していた。(僕の論では、ヤンキーとオタクは実は似ている部分がかなりある。)
なので、そこはこの本の論とは少し違っていて、さらにややこしいんだが、その話はまた別のところで。
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